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街歩きや建物見学が好きな学生たちが集まり、年5回関西圏の建物を見学しています!
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洛中支部だより  ~25年度の支部企画~ 

<上方探索倶楽部>  春のレポート

洛中支部では建築を通して歴史や文化にふれよう、という企画で今年度も上方探索倶楽部を京都建築専門学校と合同で活動していきます。毎回さまざまなテーマで建築やまちを訪れることにしておりますが、“ノスタルジックな風景”を感じようという思いが底流にあります。 もちろんこれに限らず幅広く皆様の考察や再発見に役立てて頂けると思い、年間5回程度を予定していますので今後のご参加をお待ちしております。また昨今の変わりゆく住宅やまちをみるにつけ、40~50年前に私たち世代が実体験した生活や空間を若い人たちに伝えていく事も大切だと考えるところです。 支部以外の方の参加も歓迎です。
今年度の第一回は5月19日(日)八幡の松花堂~正法寺、石清水八幡宮を訪ねました。
PM 0:00 京阪八幡駅前集合    ~松花堂へ~
江戸時代の僧、松花堂昭乗はこの時代超一流の文化人でした。昭乗の建てた方丈と松花堂は明治期に八幡宮の境内から現在の地に移築され、現在八幡市が管理する松花堂の施設には草庵松花堂と4畳半の茶室が3棟あります。 草庵松花堂は2帖、茅葺き方形屋根の茶室なのですが残念ながら修理中でシ-トに覆われていて見ることは出来ませんでした。
現代の3棟の茶室は回遊できる庭に方丈とともに点在しています。
竹隠はびわ床の茶室、梅隠は中くぐりを入り露地からの貴人口をもつ宗旦好みの茶室で、床の間は地床のしつらえ、床柱は栗のなぐり仕上げでした。
竹隠では、雨の降り出した庭を見ながら一服のお茶を頂く、という贅沢な時間を持つことができました。びわ床の間口は手前座の半分ほどまであり、天井は床に対して対面側半畳分が野根板下り天井、正客側は皮付き松丸太の棹縁天井です。
梅隠の8帖は書院床をもつ広間で炉が切ってあり、当初は向う切りの位置だったようです。天井高が八尺ほどのようで、鴨居の寸法も小さく長押がないので小壁が大きく感じました。
いまひとつは松隠で8帖広間と水屋を介してつながった普請です。
建物周囲をめぐる庭には珍しい木々がありオオヤマレンゲという白い花が咲き出していました。方丈とともに移築の庭は小堀遠州の作で、書院にはそののち、行幸のための玉座があります。

 ~古い家並みの道を歩き正法寺へ~
伽藍の創建は鎌倉期まで遡る古い寺ですが、江戸時代に石清水八幡の社家志水宗清の再建により、当時の規模が現在までほぼそのまま保たれています。本堂は1629年の建立です。
宗清の娘亀女は徳川家康の側室となりのちの尾張藩祖義直の母となったひとですが、家康没後は相応院と名乗って、寺は菩提寺となりその後も近世を通して尾張藩の厚い庇護を受けました。方丈の襖絵は狩野派によるものですが痛みがきつくそのうち見えなくなりそうに感じます。唐門は本堂とともに重文で、方丈に座ってみると正面に配されています。
山を背にした庭は池がうまく取り込まれていて、もみじの季節は美しいことだと思います。

~雨のなか石清水八幡宮へ
約40年ぶりに大修理を終えた八幡造りの本殿は雨と霧にけむり、壮麗です。
比叡山とともに、都の裏鬼門守護として祀られ、その昔、源氏が戦勝祈願したことから、長く武運長久の信仰は庶民の間にもひろく浸透していました。信仰だけではなくちょっとしたハイキングでもあったでしょう。
八幡造りは社殿に二棟の屋根を持つため中央に樋が必要になりますが、この日案内いただいた権禰宜さんが引き戸を開けて、信長が寄進したといわれる黄金の樋を、特別に見せていただけました。
たびたび焼失造営を繰り返し現在の社殿は徳川家光によるものです。

今回の修理中での仮本殿は若宮社だったのですが、その桧皮葺屋根は前回の修理から40年の年月を経てかなり朽ちてきていました。 
余談ながら伊勢神宮は式年で遷宮をしますが、やはり20年というところが適切だというのがわかる気がしました。
20年の根拠は諸説ありますが筆者は、これまで漠然と耐久性や次世代への継承からだろうと考えていました。 式年とは定められた期間のことをいい、延喜式には20年の間に一度遷宮すべしと書かれているものの、20年ごととはかかれていないので、なぜ20年なのかと不思議に思っておりました。 18年か19年でもええやないかと・・・。
ところがごく最近読んだ記事に、
租として納められた穀物は何年か保存されると税とよばれることになり、そのなかで
糒(ホシイ・・・米を蒸し乾燥させた長期保存米です)を保存する期間が、養老令に書かれており、租税としておさめられた穀物の種類別に貯蔵年限が定められていたというものです。 
「養老令」によれば、稲(刈り取ったばかりの稲)や穀(キビ、豆、麦など)、
粟(もみのままの米)は、9年間、雑種(ソバ、ゴマなど)は2年間、
そして糒は20年間貯蔵せよとあるといいます。
20年保存ができれば先の見通しも不作にも対応できるでしょうし、
遷宮は国家の一大事業で、これを行う根拠となる経済的資源をどう確保するかということから、20年を一つの区切りとすることになったのではないか、というものでした。
技術的なこともさることながら経済的根拠から20年を示したものがあったのです。
大きく脱線しましたが、いろんなことを今回も感じた探索でした。
ではまた次回をおたのしみに。 

記 名和
 
 
 
 
 
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